神様をめぐる冒険 その37

神様をめぐる冒険 その37

「俺はお前をプロ野球選手にするために顧問を引き受けた。覚悟しておくように。」笑顔で話しかけてきたマンモスの茶色いサングラスの奥の小さな眼は、笑っていなかった。

次の日から僕だけが別メニューで、 ここからの何か月はおそらく人生で最も野球のことを考えて、取り組んだ期間だろう。

県内で2番目に大きなグランドをまず20周ランニング。から、練習が始まる。部活動と言えば、野球部とサッカー部とさらにはソフトボール、陸上など狭いグランドでこれらがひしめき合って練習しているイメージだが、さすがは田舎の学校。陸上専用のトラックが別にあった上に球技用のいわゆるグランドも野球とサッカーがそれほど気を遣わなくても済むぐらいの広さがあった。もちろん公立の中学校で、である。一周300メートルとしても6キロメートルだ。その後、入念なストレッチ。その後、ブルペンで投球練習。

この投球練習がまたなかなかのもので、2つあったブルペンのうち一つは僕専用となった。というのも、まずホームベースの両側に杭・支柱がたてられて、そこから外角低めのボール4~6個分に四角く、ひもが張られていた。毎日、20球そこに通さないと練習終わりにならないのだ。最近テレビなんかでよく見る『ストライクアウト』の手作り版とでもいうかんじ。あれを見ていてもわかると思うが、18.44メートル先の的はビックリするくらい小さく、そしてビックリするくらい当たらない。僕の場合は通らない。

少なく見ても毎日200球以上は投げ込んだ。おかげで打撃の練習をする暇もない。いくらなんでもバントの練習くらいはあるかと思っていたが、バントするくらいなら、自分からボールに当たりに行って、デッドボールで塁に出ればええねん。と、ウソか本気かわからないトーンで言われた。

全体の守備の練習(内野陣との連携とか)は週に一回くらい参加したが、それ以外は、延々「走り込み」と「投げ込み」の毎日だ。結局、小学校の時からこれしかしたことがないのだ。指導者が父親からマンモスに変わっただけとでもいうか。

つねに肩は痛かったが、なんとか風呂でマッサージしたり、湿布を貼ったり。

これしか方法を知らないし、努力と根性で道は開けると思っていた。

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